2008年、大阪営業所を開所した当初、仕事は皆無というほとんどゼロからのスタートだった。オープニングメンバーの一人だった小深田らは必死に営業活動を展開した。そして初めての取引となる大手メーカーの大規模プロジェクトに参画することが決まった。
「求められたのは客先への常駐という条件でした。開所したばかりの大阪営業所の所長以下、ほとんどのメンバーが駆り出されるという事態となりました」
小深田らに与えられたミッションは、駅にある券売機や改札機の利用情報を集計するサーバーのリニューアルで、従来のシステムをWEBシステムに置き換えるというものだった。
「とにかく扱うデータがすさまじい。一日に少なくとも数千万件にも上りますし、WEBになるとそれが、一点集中的に集約される。一気に処理ができるアーキテクチャーの検討に頭と時間を使いました」
それだけのデータを処理するには、アプリケーションの設計だけでなく、通信回線や周辺機器も含めたハードウェアの構築が必要となる。それぞれの技術者と実現方法の検討を行い、検証を重ねながら、どうにか条件をクリアするに至った。
「ところが、このシステムは絶対に停止することが許されない“社会インフラ”です。テストやレビューなど、品質に対する取り組みの厳しさは想像を絶するものでした。私たちも初めての挑戦だったので、しっかりした知識が確立されているわけではありませんでした。何度も“ダメ出し”を食らいながらも、一つひとつ勉強して確実に、要求に応えていきました」
小深田らの苦労のかいあって、その挑戦的なプロジェクトは無事終了した。それが名刺代わりの仕事となった。それからというもの、社内の他からも仕事の依頼が入るようになり、大阪営業所の営業基盤が少しずつ固まっていった。
「お客様の期待に対し、+αを加えて応えていくことで、確実にお客様の信頼を獲得することができました。そんな貴重な機会となりました」
小深田は言う。“オリエントシステムのファンになっていただけるお客様を、一人でも多くつくっていくのだ”と。彼らのたゆまぬ努力の積み重ねが企業の信頼を強固なものにしていく。
再生医療の可能性を切り開いたiPS細胞。その研究に使用されている細胞培養装置のソフトウェア開発を担当しているのが、東京本社の開発リーダーである市之瀬だ。
「私が担当したのは、ロボットアームが細胞の入った容器を掴んで、“インキュベータ”という培養に適した環境内にある保管場所へと運ぶ装置です。私はその中でも、培養装置内で細胞の成長過程を観察する装置の、ユーザーが操作する画面について設計と開発を担当しました」
装置内には何種類もの細胞が入っている容器が格納されており、ユーザーが意図する通りの容器を間違いなく取り出し、さらに保存するデータもしっかり管理しなくてはならない。プログラムの誤作動など、決して起こしてはならないため、慎重に設計と開発を進める必要がある。
「このプロジェクトには初期段階から係わってきて、バージョンアップされる度に、様々な新しい要望(機能)が追加されます。例えば、細胞を培養する容器の種別が変わったり観察方法を変更したり。どんなに状況が変わっても私たちは確実に、決まった場所に容器を格納して、決まったデータとして保存しなくてはなりません」
京都大学の山中教授がiPS細胞の研究によってノーベル賞を受賞された時には、オリエントシステムのメンバー全員の士気が高まり、普段は冷静な市之瀬も高揚感を覚えた。自分たちの仕事が社会を変える力になる可能性があると。
「10年続いたこのプロジェクトも一区切りです。一つの大きな仕事をやりきったという感慨もあるし、お客様から多くのことを学ばせていただいた実感があります。ここで得た経験や技術を次の新しい開発現場で活かし、しっかり期待に応えていくことで、お客様に恩返しをしていきたいと考えています」
市之瀬の新しい活躍のフィールドは自動車業界。今度はクルマの新しい「ミライ」を切り開いていくのだ。